ないもの あるもの


ふざけた日記の後に、震災の事を書いてよいものか2秒程
迷いましたが、私の記憶が確かなうちに書かせていただきます。



7月半ば、4月以降行っていた、潜水作業から一時撤退となりました。
理由は予算や自治体、被爆限界量など様々ですが、一時的に現地を離れ、内心安堵している自分がおります。

揚収作業は月日が経つうちに遺体の損傷につながり、御家族の元へ戻すのも憚られる状態がほとんどでした。
津波にあい損傷し顔の判別もつかない御遺体を汚れたまま埋葬するのは心苦しく、
夜な夜な遺体安置所である体育館に通い、化粧を施し続けました。
しかし震災当初は棺桶はもとより、線香どころか供養する花一本もなく、日々心の中で謝り続けながら、遺体と御家族に向かい合ってきました。
「孫が、こんなひどい目にあったというのにボロ雑巾のように捨てるのか・・年頃の娘なんだ、せめて花の一本ぐらい」
こういわれる御家族の慟哭が胸に刺さりました。



復興が進むにつれ、震災で失った繋がりを求め、若くして結婚される方が増えてきました。
被災地の宮城で参列させていただいた結婚式の御両人は共に二十歳、若すぎる気もしましたが、新郎は家族を含め親戚の半数を失っており、新婦は自身以外の全ての血縁を失っており、新たな家族を作りたいという強い意志を感じました。

慎ましい式の終盤、新郎は新婦に約束します。
「必ず新婚旅行に行こう、立派な家を建てよう、子供は3人作ろう、はやく出世して残業しないようにする・・絶対幸せにする。」
優しい新郎に新婦は微笑み、こう言いました。
全部守れなくていいから、ひとつだけ約束して下さい。
「ずっと傍にいて私を離さないで下さい、お願い、ひとりにしないで。」